logic system continued.

http;//d.hatena.ne.jp/hello-m/ ではてなダイアリーで12年間書いてたブログ『logic system』から引っ越してきたので、その続き、という意味での『continued』。

生きていくって難しい。

いやー、難しいですね。いろいろと。

11月のはじめ頃、ある仕事に応募をしていました。報道関係の制作会社です。

これまで、正攻法で就職・転職活動をしようとしても、うまく行った試しがなく、大概ずっと紹介だったり何だったりで、フリーランスとして生計を立ててきました。ところが、通信社でのインターン時代、テレビニュースの生放送の経験があったので、その経歴が引っかかったのか、珍しく「話がしたい」という返答でした。面談なども含め、これまで無かったような、ちょっとした好感触がありました。

およそ1ヵ月半が経ち、いわゆる「お祈りメール」が届きました。新卒ではないので、厳密にはお祈りでも何でも無いんですけど。


決まっていれば、来年春から、ニューヨーク在住になるところでした。


応募するにも、話を進めるにも、心の準備が出来ないまま、進んでいきました。今の生活を捨ててまで行くべきなのか。日本での生活はただでさえ孤独で苦しいけれど、まだ掘れば面白いところがたくさんある。それらから遠ざかることは、果たして出来るのだろうか。しかしそういった考えから、プロセスが進むにあたり、渡米にあたってどう準備すればいいか、生活設計はどうするか、そんなことまで意識する程度には、徐々に腹は決まっていました。

また、こんな時にこれでもかと、自分の好きな音楽で、いろいろな区切りがありました。クイズにしてももうすでに、プレイヤーとしては事実上休止状態。フェスは時期的なものだからどうしようもないとしても、旅行は渡米までにケリをつければいいし、数年くらい日本を離れたところで、あるいは永続的に向こうにいることになったところで、自分が好きになった風景は、そう大して変わらないだろう。本当に、年内に全ての決着がつきそうなところでした。12月頃からは、いろんな用事に一つ一つ出かける度に、「これが最後かもしれない」ということを意識しながら、ひたすらアクティブに動いていました。

その反面、過度に期待はしないよう、自分に言い聞かせてました。話が頓挫した時のショックが、あまりにも大きいだろうから。だけど、応募するに段階から、ある程度の覚悟が必要な事項でした。全く期待をするな、という方が無理な話でした。

メールを確認して、不思議と、ふっきれました。同時に、ずっとニューヨークでの生活を想像していただけに、はっきりとわかりました。


もう一度、ニューヨークにチャレンジしてみたい。


自分の中でこれほどまでに、ニューヨークへの憧憬が強かったことを、わかっていませんでした。いや、かつての自分にはあった熱が、形を変えて再燃した、といった方が正しいでしょうか。3年前に中学の同窓会から帰ってきた時に、「3年以内にチャレンジしなかったら、渡米はすっぱりと諦める」と書いたんですが、よもやこんな形でチャンスが来るなんて思いもしなかったもんで、もう一度だけアタックしてみようかな、と。

年内はもうふっきれて、遊び倒します。というか、どのみちそのつもりでした。年が明けたら、今までペンディングにしていた、翻訳会社や制作会社への登録・売り込み、春先に開講するであろう映画字幕講座への入学、そしてもう一度「最後」を意識した整理をするための旅行と、夏フェス参戦。それらが全て済む頃には秋になっているはず。

そんな秋を迎える頃に、ニューヨークで生活してみたいと思います。旅行ビザで滞在出来る日数は90日。最低でも30日は、ニューヨークで自活してみるつもりです。もっと早く行けばいいじゃないか、という意見もあると思います。実際、30日だったら、4月くらいにタイミングが出来るかもしれません。ただ、字幕講座が半年間あることと、もう少し時間が出来たことを踏まえると、これくらいの時期になると思います。それまではフリーとして仕事をしつつ、貯金を切り崩しつつ、スキルアップの期間にするつもりです。

向こうにいる間、街の空気を全身で吸い込んで、あわよくば、現地採用のチャンスをつかむ。運良く、就労ビザのスポンサーをしてくれる(ここ重要)仕事、願わくば映像の現場に近い仕事がつかめれば…雇用条件やビザの問題はありますが、少なくとも地球の裏側の東京にいるよりは、おおいにチャンスがあるでしょう。もし空振りに終わったとしても、その30日、ないし90日は、一生の経験になるはずですし、そこでダメだったら、諦めもつくでしょう。


「来年からアメリカかもしれない」このことは、今まであまり多くの人には伝えていませんでした。理由は単純で、決まらなかったら撤回するのが面倒だし寒かったからです。伝えていた人間は、ごくごく一部を除いて、当たり障りのない方々でした。言葉にすると失礼な書き方ですが、別に伝えた人・伝えなかった人を、いずれも軽視していた訳ではありません。直近で影響が出そうだったり、あるいは単にそんな場に居合わせたり、そんな理由です。もしも決まっていたら、一斉に発表するつもりでした(ここで本当に近しい人間に一歩先に連絡するかどうするか…とか迷ってたりもしてたんですが)。

長くなりましたが、ざっくり要約してしまうと、「皆さんにとっては大して変わらないことになったけど、自分にとっては軽い転機になりました。今後ともよろしくね」ということで。

しかし、そう簡単には行きませんね、やっぱ。

未来へ。

2013年3月24日19時40分。abc the 11th / EQIDEN2013終了宣言。

「やっと自由になった」―その瞬間、気がつけば、その場に崩れ落ちていた。


2004年、secondが開催される前からすでに、「参加資格を失ったら松が音響をやる」という感覚は、参加者・スタッフ共に感じていた。事実、当時の3分×4セット制タイムレースのBGMは、参加者時代にすでに作り上げており、今では定番になった2Rの「1人抜けごとに曲が進んでいく」「最後のリーチでストップをかける」などは、大会を終えて2ヶ月もかからずに決まっていた。

そして「音響」として迎えたthird。この時、音響班などというものはなく、たった1人で音出しからミキサー操作、さらには体力のかかる搬入や設営指示まで、全てをこなしていた。実際に用意した音は、secondまでと比べたら明らかに緊張感の高い設定で、abcの2Rが終わった時、背筋に寒気を感じた。「…俺、やり過ぎた?これから先、固くなっていく一方だぞ…」それが、その時の率直な感想だった。だが、年を重ねるにつれて、ルールや演出の変更などで曲の変更があったものの、徐々に浸透していき、定番化していった。


そうして音響を務めて、9年。後継者が一向に定着せず、何年も頭を抱えながらこなしてきた音響班も、ようやく後継者が固まりつつあった。だが―

年末の日記に書いた通り、夏頃から、明らかに心身ともに、何かがおかしくなっていた。具体的にどうだったか、ということは年末に書いたので詳しくは書かないが、「生死の狭間」というものは、何も難病を抱えたり、そういったことだけで来るものではない。自分の体、特に神経に関わる部分は、自分が思うより制御できる範囲に限界がある、ということを、身をもって痛感した。

音響という仕事は、音を用意して、当日持って行って、曲をかければそれでいい、という訳もなく、当然のごとく、事前準備や、他のスタッフとの連携が重要な訳で。自分の心身が限界を迎えていようとも、目の前の仕事を、寝ている間に妖精さんが解決してもらえる訳でもなく。

もちろん、他のスタッフが楽をしていた、なんてことは全くない。毎年心がけているが、今年は本当の意味で、この身が尽き果てようと、やり遂げるつもりだった。とにかく大会が終わるまでは、この心身を絶やさぬように。その先に、「自由」が待っていることを、信じて。

出発の朝。walkmanの中でかかっていたのは、より子さんの『あい』だった。「あなたの心が砕けそうになっても 私が抱きしめているから」―そんな人間が自分にいるのか、そんな人間に自分はなれているのか。


EQIDENでは、勝ち負けを問わず、真の意味での「絆」を見せてもらえた。abcでは、「黄金世代」の好きにはさせないといわんばかりの3年以下の躍進と、自分が参加者だった頃のラストイヤーの席巻にまで手をかけて、それを果たせなかった者達の無念を見て、揺さぶられた。(余談だが、secondのラストイヤー、2R通過者は17人。今年は後から数えたら、15人だった。自分達の世代を超える数字を出してくるなら今年の世代だろうと思っていて、密かに期待をしていた。しかし、時代背景を考えれば、本当に誇るべき数字だと思う。)

そして―abcの決勝前。機材がセルフプロデュースと決勝の準備のため、空いているのはCDデッキのみ。この時間になるとみんな疲れているから、ゆっくりめのアルバムを―CDブックを見ている中で、1枚のCDが目に入った。前日、休憩用BGMとして自分のCDラックから、別のCDを探しているうちに、偶然目に入って、持参していったCD。

YEN TOWN BAND『MONTAGE』

そういえば、今日は日曜日…セットリストの外で、自分がこの席でかける曲は、おそらくこれが最後になるだろう。静かに、1曲目の『Sunday Park』をかけた。


大会が終わり、数日が経った。何か文をしたためなければ、と思いながら、今も打った文を消して、書き直して、の繰り返し。相変わらず昼夜逆転は続いてるものの、数ヵ月間に渡って苛まれていた頭痛と吐き気が、嘘のようにひいていった。ただ、胸に大きな穴が空き、それを埋めるものはどこにもなく、そこはかとない孤独感に苛まれている。自ら望んだ結果について、「これからどうしよう…」という想いがやってきて、また消えていく。そんな日々の繰り返しである。


来年、10年目の音響班。結局、まだ仕事は終わっていない。自分はおそらく、最後の引き継ぎのために、次期チーフの隣に座っているのだろう。そしてそれが、いろんなことがあっても、自分をあの席に座らせてくれた、仕事と称して、自分が考える最高のセットリストをかけ、すべての試合を特等席で見せてもらえるのに付き合ってくれた、参加者、スタッフ、そして先代の音響チーフの某氏を含めた音響班メンバーへの、最後の、今度こそ本当の意味での「最後」の、感謝の表明になることを…

願う。

2012.

とりあえず、恒例の参戦ライブ・イベント・フェスリストから。

45本。去年より1本減ですね。まぁ今夜カウントダウン行ったら追いつくことになるんですが。そして実は、9月の参戦数がゼロです。これにより、およそ3年に渡って続いてきた「毎月最低1本」という記録が途切れました。まぁ途切れる寸前までこの記録は意識してなかったのですが。

今年という年は、人生最悪の年、恐ろしいほどの挑戦を強いられた年、生命の危険すら感じた年、と言わなければなりません。

例年なら、自分は夏に強いんです。夏はフェスも多くて騒ぎまくって、明るくなるんです。逆に、冬は全体的に行動が縮こまってしまい、年の終りに一旦リセットしてチケットとかも取らなくなるので、音楽のみならずいろんなことの始動が遅くなりがちで、普段から外に出ないのに輪をかけて出なくなります。学校がずっと秋開始だったので、秋がどうも好きになれなかった余韻もあるんでしょう。

7月下旬、フジロック後くらいからでしょうか。原因不明の思考停止に襲われました。

会話をしたらすぐキレる。自分でもわかるくらいに理不尽な理由で。しかも自分の力で歯止めをかけることが出来ない。常に怒りが感情の大半を占めて、仕事にまで影響しました。毎年心から楽しんでいるフェスも、完全に自暴自棄な騒ぎ方になり、いろんなものをぶつける場所になり下がっていました。サマソニ初参戦も、ほぼ勢いで行ったようなものでした。

言葉で表すのは難しいですが…とにかく全てが辛い1年でした。誰にも相談出来ず、それ以前に誰かに会う機会もほとんど無く、9月頃にショック療法的にクラブに行ってみても、やはりダメだった。外食をしようとすると、常にイライラしているため、ひたすら激辛メニューばかり頼んでました。

こういったことがようやく引いたのは…10月くらいまでかかったでしょうか。それでも、何かのきっかけで「プツッ」と行ってしまうことがあり、ほぼ完全に引いたかな、とようやく思えたのは、11月に石垣と沖縄に行く手前でした。中旬から下旬にかけて行ったのですが、本当はこれも上旬に設定していました。それが、その数日前にまたもフラッシュバックが出てしまい、結果的に日程を遅れさせての旅程になったのです。

今こうして文を打っていても、あの頃の自分に何が起きていたのかわからず、何度も何度も「崖の向こう」を覗き込んでしまったことに、恐怖感がよみがえってきます。

ヘルニア治療で通っているペインクリニックになかなか行けなくて、行ったときに「こんな状態です」と話したら、はっきりと「初期のうつ病」と言われてしまいました。

それまでは、「うつだ」「落ち込んでいる」とかいうのは、口にしたらそれを認めることになるから負けだ、と思い、今までそういった類のことは絶対に口にしませんでした。少し嫌なことがあった程度で、軽々しくそういった言葉を使う人間も周りに多かったため、「本当にうつだったらそんなもんじゃねぇよ」とも思っていました。実際、本当にそういった症状で苦しんでいる人間も周りにいたので、余計にそういう思いが強かったのです。自分では、なんとか逃げ道を作っていました。

いざ自分に、本当の意味で、そういった症状が降りかかると、その逃げ道にも手が届かなくなるのだ、と痛感しました。自分では何も出来なくなるのだ、と。

いくつか趣味はある方なんですが、そんな中で、自分にとって「何はなくとも」という存在だった「音楽」にすら、ほぼ興味がなくなってしまったのです。これだけのリストがあるというのに、サマソニからLOFTまで約2ヶ月もの間、ライブ参戦が全く無かったのは、その前にチケットの情報を整理出来なかったり、それどころかPCの前に座る集中力が完全に欠落していたから。普段はe+の情報メールを手元でリストにして、というような形でスケジューリングをするんですが、そもそもPCが見られないんだから、出来なくて当然です。現場復帰もしばらくは当日券でした。行けるかな、行ける、行った、といった感じで。その同じ数くらい、睡眠がガタガタで開演回ってたり、終電逃してクラブイベントに行けず、twitterのTL見て羨ましがりながら、「どうしてなんだ、俺…」と思うことも多々ありました。

秋口のクイズの成績が全く振るわなかったのも、そりゃ頭が回ってない上に集中力が欠落してるんだから当然です。10月にサークルの企画を任されていて、タイミング的にここでやらないともう二度と出来なくなると思ってなんとか形にはしましたが、内心では逃げ出したかったくらいの状態でした。それだけに、12月のサークル企画の優勝は、企画者との相性を考えれば勝てる確率は高いだろうとは思っていたものの、実際に勝てたのは、憑き物が下りた感覚が強く、本当に嬉しかった。

テレビも、録画していた同じ番組をただただ繰り返し見るか、ぼーっとニュースを流しっ放しにしていました。今に始まった話じゃないですが、睡眠習慣もめちゃくちゃで、そのせいで外に出る用事をふいにした、といったことも何度もありました。こんな生活だから、どうにか人と会おうと思っても、約束が出来なかった訳です。

そして、楽しみにしていた旅行すら…こんな手の付けられないストレスを振るい落とすため、気力を取り戻すために計画していた旅行すら、「出発する気力も残らなかった」という理由で、延期しました。結果的に行けたから良かったものの…現地で意外と会う人や行きたい場所が多く、「何もしないために行く」つもりだったのが、実際にはやたらと忙しかったんですが、ようやく自然な笑顔が出るようにはなりました。ともすれば、親しい人間よりも、あまり会えない人達や、ほとんど初めて会うような人達の方が、そういうものを引き出してくれるのかもしれません。

そんな風に書いていると、今ではすっかり落ち着いた感じがしますが、一度見た崖の向こうに、ある日突然引き戻されるのではないか、と思うと、恐怖は止まりません。前述の通り、実際に秋口にはそういったこともありました。ただ、12月は風邪を3連荘くらいで引いてしまい、外に出ても普通に体調がすぐれないことが多かったです。その影響か、酒量は大幅に減りました。何も飲まなくても吐いたりとか、しょっちゅうだったし。

2013年は、ゆっくり休んで、決定的に何かを変える年になるかもしれません。それこそ、しばらく考えていた、シェアハウスへの引越しとか。音楽はamazonでCDをばしばし買いまくったりといった程度には戻ってて、珍しく年明けのライブ参戦予定とかを立て始めています。

夏の間、自分の計り知れないところで、いろんな方に迷惑をかけたかもしれません。本当にお詫び申し上げます。こんな奴ですが、来年もよろしくお願いいたします。長文乱筆失礼いたしました。だけど、これだけ書いても、あの恐怖は、到底文面に表せるものではありません。

2013年のキーワードは、「ゆるやかな変化」…でしょうか。

もう3週間前なので。

そろそろ書きます。ただちょっと急ぎなんでコピペで。今年は1オブの翌日にSTUがあるんでそれで泊まる人用の情報も追加しときました。遠征の方のみならず関東の方も、意外と交流とかあったりするんで是非。去年は「ラストイヤーの記念に」とかいうケースもあったので。ただ、「大会後に非公式の懇親会があるか」とか「1オブは社会人観戦可能か」とかが今のところわからないので、時間とかは若干変わるかもしれません。

3月17・18・19日の夜は、うちを開放します。いらっしゃる方は基本的には拒みません。土曜の人数上限は「10」、日曜は「30」とします。来たい人はなるべくみんな入れてあげたい、というのが本音ですが、如何せんスペースに限界がある以上、もしもオーバーしてしまったら、帰れる人は帰って下さい、と言ってしまうかもしれません。

土曜から入る人はキャパと時間がタイトになるので、必ずメールで連絡を下さい。日曜泊の人は、どんなに事前に言われても当日カウントするしか無い、というのはこれまでの経験で十分わかってます。しかし、人数が爆発した時のために、年齢・地方問わず、「事前に自分に話を通してた人(メール含む)」を優先します。土日月以外の日の宿泊を希望する方は相談に応じますので、メールにその旨を書いて下さい。

大会終了後、『22:30にJR川崎駅改札前集合』とします。この時点で最終的な人数のカウントを行ないます。もしここで30人以上いたら、ご遠慮頂く方も出て来ると思いますのでご了承下さい。移動のタイムロスを省くため、集合前に必ず「登戸乗換え・小田急線・440円」の切符を買っておくか、SuicaPASMO等のチャージをしておいて下さい。これらの事項の他、道中での指示が守れない場合、容赦なくそのまま置いていくのでご注意下さい。

家での注意事項としては、シャワーを使いたい人は、タオルや石鹸などは全て持参して下さい(あと連泊の人は必ずシャワーを使って下さい)。ブランケットなども用意はありますが、数に限りがあるので、ものすごく寒がりな人は事前に言っておくか、タオルケットか何かを持参して下さい。喫煙は家の外でお願いします。人数が人数なので、例年に輪をかけて俺も手が回りません。また、家の中で過剰な騒音などの迷惑行為を繰り返す場合、容赦なく冬空の公園に放り出します。ご了承下さい。

なお、翌日の1年生オブザイヤーに参加される方は、家主は疲れて途中観戦、あるいは行かないと思うので、土曜夜に別途引率役を設けます。もし用意出来なかった場合、自力で行く方法を説明しますので、必ずその指示に従って下さい。また、翌々日のSTU the sixthに参加される方に関しては、1オブ観戦の可能性があるので、月曜に宿泊を希望される方は、一旦退出して頂くことをご了承下さい。いずれの場合でも、荷物は置いていって下さって結構です。

という訳で、宿泊希望の方は、件名を「宿泊希望(希望曜日記入)」として、「hello _ m _ hamp [at] hot mail . com」にメールを下さい([at]を@に置き換えて、半角スペースを全て詰めて下さい)。「宿泊する全員の名前(もしくは人数)」「どこから来るか」「(土曜のみ)予定到着時間」を記入して下さい。日曜のみの方はメールを返せないかもしれませんが、土曜からの方は極力、メールで手順や注意事項などを連絡致します。

2011年ライブ記録。

現在のカウント上のルールは以下の通り。

  1. 原則として、有料の前売り券が発生した音楽イベント(ライブ・コンサート・フェスなど)のみのカウントとする。
  2. よって、「事前ディスカウントがあったクラブイベント」「購入特典としてのインストアライブ」「入場券を必要としないフェス」「音楽以外のお笑い、トーク、演劇などが主体のイベント」などはカウントの対象外とする。
  3. 当日券での入場など、当日の判断で参加したイベントは、「前売り券が有料の券面として発生していた場合」はカウントする。
  4. 主にフェスなど、2日以上に渡るイベントに関しては、大抵の場合1日ずつのチケット販売がなされているため、「1日参加ごとに1回」とカウントする。また、1日のうちに2部に分けられるイベント(昼夜2回公演、フェス本編+アフターパーティーなど)は、それぞれにチケットが発生していれば、1回ずつとしてカウントする。

最後が重要な追加点でしょうか。過去にフェスの1日参加とかを1回としてカウントしてて、今年フル参加が増えてどう扱おうかと考えたんですが、いわゆる「通し券」は「1日券n回分」と換算することにしました。あとクラブ等をカウントしていないのは「記録上遡れないし、今後追加するとしてもキリが無い」からです。以上を踏まえて、今年のライブ参戦はこちら。

しめて47本、ついに生涯300本突破!去年が39本なので、ここ2年だけで100近く届く勢いです。最初に書いたような縛りでやってるので、もちろんここに書かれていないイベント(8bit cafeの周年イベントとか)も多いんですが、TCYRADIO及びblock.fmに出会って、クラブに行く回数が激増し、大体クラブで前売りがあるのなんてageHaのビッグイベントくらいなので、実数は60くらい行ってるんじゃないでしょうか。1年の1/6は音楽の場にいる…と考えるとすさまじいですが、269〜286の20本が6〜8月に集中してるので、実際にはアップダウンはある程度あるはずです。8月とか毎週末フェス三昧で目が回りそうになりました。

あと、「1日で2本はしご」というのが、アイドリング!!!の昼夜公演2回(260・261は日をまたいでる)を除いても4回あります。どんだけ動き回ってんだって話ですが。とりあえず、「20歳までに100だったから、30歳までにあと200」というのは達成出来なかったんですが、30歳のうちに達成なのでよしとしましょう。だって30になった時点で265までだった訳だから、そこから35本て。

そして、記念すべき300本目はより子さんのクリスマスライブでした。自分としては非常にいい節目になったと思います。あとフェス以外で心に残ったのは…やはり玉泉洞で見たclammbonですかね。沖縄いる間にライブだったりイベントだったり行ったことは過去にもあったんですが、あの会場がとにかく異質で、素晴らしかった。あんなに感情がガンガン伝わってくるライブも無く、鳥肌が立ちました。あとは何と言っても、念願のフジロック完走ですねー。一言で済ませてますけど、見たもの全てを述べるとキリが無いわ。

で、来年一発目の予定は…まだありません。基本的に、年明けのことは年が明けないと考えられない性分なのです。このリストでも実は、1〜3月は最初の4本に留まってます。家に「次のチケット」がなくなって、ああ年末か、と思う次第です。今年はいろいろあって、この時間になってようやく「2011年終わりかー…」と思ってるくらいなので。

1曲ずつの振り返りとかもやりたいところですが、今年はもう時間が無さそうです。来年は…年間50本目標ってことになってしまうのか?ちょっと夏頃に計画してることがあって、そうすると一気に吹っ飛ぶところなんですが。まぁとにかく、体と時間とチケット代が許す限り、限界まで音楽を楽しんでいく姿勢は変えずに行くことにします。

みんなもライブ行こうぜ、ってことで、よいお年を。

このところの自分。

9/03
全くの不眠のまま、朝イチのスカイマークで熊本へ初上陸。不安材料はメンタル的に旅行モードでは無いのと、預けるスーツケースがすでに国内線制限の15kgに達していること。飛行機の中の1時間しか眠れていない、頭の回っていない状態で、いろんなことをやった。1日で熊本の、少なくとも市街は半分くらい満喫した気がする。飲み会のコストパフォーマンスが異常に良かった。馬肉が美味い。地名だけ聞いていたノダシューの家に、ようやく辿りつく。
9/04
5時間程度寝て、軽めの朝食を頂き、荷物を置いたまま、朝早めの高速バスで福岡へ。ほぼ初めてみたいなもん。前日もそうだったが、わりとへろへろ。それでも記憶のかけらがほんの少し。ヲの薦めでSIB.と一緒に美味いラーメン屋に。その後飲み会の会場に合流、ノダシューを連れてヲの家へ。眠いくせに4時近くまでだべり続ける。
9/05
6時間以上ぐっすり。遅い朝食を頂き、天神へ。向かう途中で海が見えて、やっぱり海が見えると南に行きたくなるなぁ…と少し思う。らいてうとちょっとだけ会い、ノダシューは先に帰り、自分はMD-ownと708と合流(リキもいたけどすぐ帰ってしまった)、さんざん迷った挙句hara donuts上のカフェへ。当たり引いたと思ったら熊本にも鹿児島にもあるのな。2人と分かれてから、照和、Drum LOGOS、Drum Be-1と巡り、ぐるっと回ってもう一度大名のあたりを散策するつもりが、一気に赤坂と大濠公園の間まで歩いてしまっていた。急いで戻って、時間かけたかったところだけどささっとだけ見て、熊本にバスで戻る。焼酎の飲み比べなどをする。樽仕込みのが美味だった。
9/06
数日振りにたっぷり寝て、旅行4日目にしてようやくエネルギーが戻ってきた感じ

。ノダシューの親御様に昼食を頂いた上に、市街地に送ってもらう。アーケードは大体見てたので、ほとんど並木坂のカフェや古着屋などを巡る。荷物になるからお土産とかは出来るだけ買わないつもりだったのに、カーディガンとトートバッグを買ってしまう。もう一度熊本城の方に向かおうか…と思ったら、なんとclammbonのライブが会場からダダ漏れ。買い物してなくて、ノダシューとの待ち合わせが無かったら、当日券でも絶対入ってたな…あのライブハウスの構造が気になる。ていうか1階のテラスで座って余裕で聴けるっていうこの上なく贅沢な状況なのに、居座ってるのが自分以外いなかったのがもっと気になる。

9/07
会議をさせてもらって、人の家だというのに本人不在で二度寝。起きてまたも食事を頂き…ていうか普段の一人旅じゃこんなに恵まれた環境ありえないよ…うちも人泊めてるとはいえ、一度の人数が多すぎて床くらいしか提供出来てないっつーのに…。高速バスと迷った結果、せっかくだからとさくらに乗って鹿児島へ。全く地理感が無い地にとまどいながら、市電に乗って自力で鹿児島グリーンゲストハウスへ。自転車を借りてフェリーターミナルの位置と時刻表を確認。新幹線と高速バスじゃゲストハウス2泊分も違うけど、このリサーチの時間が取れたのは大きい。そして突然のメールにも関わらず西に連絡をしてみたら、美味しい豚しゃぶ屋に連れていってくれて感謝。
09/08
前日のリサーチと、ゲストハウスでの情報収集を踏まえ、もう1泊することに。当初の予定では鹿児島は一切スルーしてフェリーに乗るつもりだったけど、やっぱり無謀だったよなぁ。あと、福岡・熊本と共に、「紹介してもらった街の姿」と「自分で見つける街の姿」と両方見る時間を取っていたので、鹿児島でもちゃんとそこまですることにした、ということ(ていうかどこ行っても観光情報だけじゃ気が済まないんだけど)。しかしわりと頭打ちになってしまい、ふらふら歩いてると桜島フェリーが出そうだったので乗ってみて、軽く歩いて帰ってくる。この陽射しにやられてたらこれから先が思いやられ…って、延泊してなかったらどのみち詰んでたことが発覚。台風14号の影響で今日のフェリーが運休。夜にラーメンを食べに行く時に、ちょっと夜の街も散策しようと思ったものの、強風に煽られて灰をかぶりまくり、心が折れてとっとと帰宅。明日どうなるかなぁ…。

まず、とにかくお世話になりまくったノダシューとヲと両家のご家族に感謝します。そしてこれからお世話になる人もいると思いますので、宜しくお願いします。しかし、仙台だろうが京都だろうが那覇だろうが、常に俺が先導役を任されていたのに(ましてや那覇なんて俺だって当時は初めてだった上にその集団では最年少だった)、九州に来て、おそらく17歳の時に大学見学で行ったボストン以来、何もわからず地元民に先導してもらう状況に。よもやらいてうに「道心配だから着いて行ってあげて」とか言われるとは思わなかったわ(笑)。

旅に出る時っていつもうだうだ行きたくなーいめんどくせーとか思うんですけど、行ってしまえばなんとかなったりしてました。しかし今回は行先の大半が未開の地。出発日を遅らせてもなお、モチベーションは上がらないままでした。現地に着いてもまだ、「まぁいざとなったら途中で飛行機乗って帰るわ」とか思ってました。だけどやっぱり、今までの旅行と違わず、一度出たらその先へ、となっていくみたいです。少なくとも、今のところはまだ途中帰還の予定は無いです。むしろ飛行機の予約を取るのに苦戦してて、予定より帰りが遅れそうなのが心配なんですが。

twitterとか更新しようと思ってたんですが、まとまった更新をしてから、と思って一切控えてました(こっそり4sqのチェックインだけはしてましたが)。今後はちょこちょこ更新したいと思います。ただ、高校生クイズのオンエアが明日ということで、たぶんその話題がそこかしこで出ると思いますが、俺はワンセグすら入らない場所にいる可能性が高いです。なので結局しばらくはとりあえずmixiは見ないでなりを潜める、というかまぁ一方的にtweetだけするような形になると思います。なもんで、そのあたりの情報を「わざわざ送りつける」とかはやめていただけるとありがたいです。

なんか思ったより長くなってしまった、生存報告でした。これから南下していくけど、どうなるんだろうなぁ。

クイズ界最大の夏フェス。

7年連続7回目の音響班チーフでした。

「500人入ってるハコで好きな曲かけられるなんてDJだったら何年かかるか」という気持ちでやってます。「abcってのは500人に俺の好きな音楽に付き合わせる場所だ」と言ってはばかりません。とはいっても大会中のセットリストはあまり変えられないので、大概休憩中とかになるんですが。今回、前半はryahatさんが「誰にも頼まれてもいないのに(本人談)」選曲してきた曲で、後半は夏フェス帰りの趣味全開の自分選曲で行きました。ryahatさんの選曲見た時に「スタッフ全員で必死に熱中症対策仰いでるのになんだよこの脱水症状起こしそうなセットリスト」と思いましたが(『Crazy Days Crazy Feeling』→『G.W.D.』って何だよ、とか)、後半の自分の選曲も踊りに行く曲ばっかりだったので似たようなもんでした(underworld『Scribble』とかLondon Elektricity『LON 8PM TYO 4PM』とか。さすがにabc準決勝〜EQIDEN決勝はみんな疲れてるだろうからスローテンポにPUSHIMかけましたが)。

震災の影響での延期自体はともかく、「よりによって8月の土曜日かよ…」という思いは、当日が近づくにつれて日ごと強くなってきてました。なんといっても、夏フェスシーズン真っ只中です。3月開催でも、過去にabcのためにライブ諦める、ってのはまぁあったんですが、今回は特に、最近知り合ったクラバーの皆様とのオフを泣く泣く蹴っての参加でした。前日の昼間まで本気でオフだけでも行って帰ろうか悩んでたくらい、音楽方面で重要な仲間たちと顔を合わせる機会を蹴るのは、本当に心苦しかったですが、翌日の仕事量を考えると諦めざるを得ませんでした。フジロックサマソニとかとかぶってたら発狂してたと思うので、それよりはまだマシな気がしますが。いやサマソニ行ったことねぇけど。(ていうかフジロック、やっと本番で出題された!と思ったら壇上高校生ばっかだったよ…後から某観戦者に「フジロックスルーだったからって落ち込みすぎ」って言われたけど、そんな後ろから見ててもわかるくらいリアクション取ってたか俺。参加者との距離感、という意味で大きな反省点。)

さらにいうと、2〜3月にかけてはクイズの方もハイシーズンで、大会が結構連続で開催されていて、頭がわりとクイズ寄りになってるので、そのままクイズモードで入っていけるんですね。対して今回は、FUJI ROCK FESTIVAL、WORLD HAPPINESS、SONIC MANIAと、直前3週は連続でフェス、さらに大会3日前はお台場合衆国で猛暑の中でZONEと怒髪天を1日で見るとか、ライブ三昧でした。さらにいえば、これは後々詳しく話そうかと思うんですが、8月11日に地域振興事業の一環でうちの地域でクイズ体験会なるものがありまして、それのためにフジロック翌週に2徹で200問以上作った上に当日の企画進行をほとんど1人でやって、もうクイズお腹一杯っすよって状態でした。しかもここ数ヶ月、自分が答える側に回れる機会はほとんど無く、最後にボタン触ったのは7月下旬の特快例会でした。skypeクイズすらいつやってるかわからないし、時期的にabc対策とかやってるだろうから安易に入っていく訳にもいかない。そんな状態だったので、モチベーションが上がるどころか、「なんでこんな時期にもう…」とかぼやくばかりでした。

だけど、EQIDENの1回戦が始まって、音を鳴らし始めて、舞台上でチームの一喜一憂を眺めるにつれ、「ああ、これも祭だ。すごい祭だ。しかも音は俺が回してる」と、そこでようやくテンションが上がり、音響班にはほとんどない休憩でも、上のような感じで選曲して、軽く自分で踊ってるくらいでした。例年は後半になるにつれて憔悴しきってるんですが、今回は熱中症対策で飲食物を普段の倍くらい持っていってたこともあり、例年ほどへろへろにはなってませんでした。ていうかこんな単純な方法で疲れが軽減されるんだったら次回以降もやっとこう。

そんなテンションの高ぶりはもちろん、優秀な音響班スタッフのサポートと、何より参加者の皆様なくしてはありえませんでした。実は今回、大会全体の音響が破綻する可能性すらあった大規模な機材トラブルに見舞われ、その対応により音響班が取れる唯一のまとまった休憩時間である「ペーパークイズ実施時間」で対応に追われ、そこからみんな体持つのかよおい、という状態でした。それでも、少なくとも音響班は全員、無事に完走しました(もちろん反省点もおおいにありますが、ミスが許されない音響においては、ベストを尽くせたと思います)。思えば毎年、3月開催で頭がクイズモードになってる時は、朝起きたくらいから「おっしゃ今年もぶちかましに行くぞー」という感覚になれるんですが、そうなるまでに今回はかなり時間がかかりました。しかしその分か、というかその反動でか、いつもより若干テンションが高かった感覚すらあります。

いい夏フェスだった。最後には心からそう思えました。

abc the ninth、及びEQIDEN2011、全ての参加者・スタッフの皆様に感謝します。