logic system continued.

http;//d.hatena.ne.jp/hello-m/ ではてなダイアリーで12年間書いてたブログ『logic system』から引っ越してきたので、その続き、という意味での『continued』。

未来へ。

2013年3月24日19時40分。abc the 11th / EQIDEN2013終了宣言。

「やっと自由になった」―その瞬間、気がつけば、その場に崩れ落ちていた。


2004年、secondが開催される前からすでに、「参加資格を失ったら松が音響をやる」という感覚は、参加者・スタッフ共に感じていた。事実、当時の3分×4セット制タイムレースのBGMは、参加者時代にすでに作り上げており、今では定番になった2Rの「1人抜けごとに曲が進んでいく」「最後のリーチでストップをかける」などは、大会を終えて2ヶ月もかからずに決まっていた。

そして「音響」として迎えたthird。この時、音響班などというものはなく、たった1人で音出しからミキサー操作、さらには体力のかかる搬入や設営指示まで、全てをこなしていた。実際に用意した音は、secondまでと比べたら明らかに緊張感の高い設定で、abcの2Rが終わった時、背筋に寒気を感じた。「…俺、やり過ぎた?これから先、固くなっていく一方だぞ…」それが、その時の率直な感想だった。だが、年を重ねるにつれて、ルールや演出の変更などで曲の変更があったものの、徐々に浸透していき、定番化していった。


そうして音響を務めて、9年。後継者が一向に定着せず、何年も頭を抱えながらこなしてきた音響班も、ようやく後継者が固まりつつあった。だが―

年末の日記に書いた通り、夏頃から、明らかに心身ともに、何かがおかしくなっていた。具体的にどうだったか、ということは年末に書いたので詳しくは書かないが、「生死の狭間」というものは、何も難病を抱えたり、そういったことだけで来るものではない。自分の体、特に神経に関わる部分は、自分が思うより制御できる範囲に限界がある、ということを、身をもって痛感した。

音響という仕事は、音を用意して、当日持って行って、曲をかければそれでいい、という訳もなく、当然のごとく、事前準備や、他のスタッフとの連携が重要な訳で。自分の心身が限界を迎えていようとも、目の前の仕事を、寝ている間に妖精さんが解決してもらえる訳でもなく。

もちろん、他のスタッフが楽をしていた、なんてことは全くない。毎年心がけているが、今年は本当の意味で、この身が尽き果てようと、やり遂げるつもりだった。とにかく大会が終わるまでは、この心身を絶やさぬように。その先に、「自由」が待っていることを、信じて。

出発の朝。walkmanの中でかかっていたのは、より子さんの『あい』だった。「あなたの心が砕けそうになっても 私が抱きしめているから」―そんな人間が自分にいるのか、そんな人間に自分はなれているのか。


EQIDENでは、勝ち負けを問わず、真の意味での「絆」を見せてもらえた。abcでは、「黄金世代」の好きにはさせないといわんばかりの3年以下の躍進と、自分が参加者だった頃のラストイヤーの席巻にまで手をかけて、それを果たせなかった者達の無念を見て、揺さぶられた。(余談だが、secondのラストイヤー、2R通過者は17人。今年は後から数えたら、15人だった。自分達の世代を超える数字を出してくるなら今年の世代だろうと思っていて、密かに期待をしていた。しかし、時代背景を考えれば、本当に誇るべき数字だと思う。)

そして―abcの決勝前。機材がセルフプロデュースと決勝の準備のため、空いているのはCDデッキのみ。この時間になるとみんな疲れているから、ゆっくりめのアルバムを―CDブックを見ている中で、1枚のCDが目に入った。前日、休憩用BGMとして自分のCDラックから、別のCDを探しているうちに、偶然目に入って、持参していったCD。

YEN TOWN BAND『MONTAGE』

そういえば、今日は日曜日…セットリストの外で、自分がこの席でかける曲は、おそらくこれが最後になるだろう。静かに、1曲目の『Sunday Park』をかけた。


大会が終わり、数日が経った。何か文をしたためなければ、と思いながら、今も打った文を消して、書き直して、の繰り返し。相変わらず昼夜逆転は続いてるものの、数ヵ月間に渡って苛まれていた頭痛と吐き気が、嘘のようにひいていった。ただ、胸に大きな穴が空き、それを埋めるものはどこにもなく、そこはかとない孤独感に苛まれている。自ら望んだ結果について、「これからどうしよう…」という想いがやってきて、また消えていく。そんな日々の繰り返しである。


来年、10年目の音響班。結局、まだ仕事は終わっていない。自分はおそらく、最後の引き継ぎのために、次期チーフの隣に座っているのだろう。そしてそれが、いろんなことがあっても、自分をあの席に座らせてくれた、仕事と称して、自分が考える最高のセットリストをかけ、すべての試合を特等席で見せてもらえるのに付き合ってくれた、参加者、スタッフ、そして先代の音響チーフの某氏を含めた音響班メンバーへの、最後の、今度こそ本当の意味での「最後」の、感謝の表明になることを…

願う。